東京地方裁判所 昭和42年(ヨ)2262号 判決 1969年7月01日
申請人
志賀穂子
代理人
坂本福子
外四名
被申請人
東急機関工業株式会社
代理人
橋本武人
外二名
主文
1 申請人が被申請人に対し、労働契約上の権利を有することを仮りに定める。
2 被申請人は申請人に対し、昭和四二年四月以降本案判決確定に至るまで、毎月二五日限り、一カ月金二九、九五八円の金員を仮りに支払え。
3 訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実《省略》
理由
一被申請人は、内燃機関及びその部分品、附属品類等の製造、販売を業とする株式会社であり、申請人は、会社の従業員であつて、昭和四二年三月当時毎月二〇日締切、同月二五日払いで月額平均金二九、九五八円の賃金の支払いを受けていたものである。
会社は、昭和四一年五月二八日会社の従業員をもつて組織する組合との間に、女子の停年を三〇才とする旨の協定を結び、その実施日は昭和四一年三月二一日とするが、既に三〇才に達している者及び昭和四二年三月二〇日までに三〇才に達する者については、昭和四二年三月二〇日まで実施を猶予する旨の覚書により過渡的措置を定めた。
申請人は、右組合の組合員であり、昭和四一年三月二〇日当時既に三〇才に達していたので、会社は、右協定により、申請人は昭和四二年三月二〇日をもつて停年のため当然会社を退職したものとして扱い、同月二一日以降申請人を従業員として扱わず、且つ、同日以降の賃金を支払わない。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二右協定には、女子に関する停年のほか、男子については五五才をもつて停年とする旨の定めがあることは当事者間に争いがない。
申請人は、「本決定は、女子を女性なるが故に差別待遇するものであつて、憲法一四条、労働基準法三条、四条に違反するから、公序良俗違反として無効である。」と主張し、被申請人はこれを争うので考えるに、労働基準法三条は「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。」と規定し、同法四条は「使用者は、労働者が女子であることを理由として賃金について、男子と差別的取扱をしてはならない。」と規定している。これらの規定は、法一四条一項の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人権、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」との規定を受けて設けられたものであり、このことからすれば、これらの規定も憲法一四条と同趣旨に解すべきようにも考えられるが他方、労働基準法一一九条は、同法三条、四条違反の使用者に対する罰則を定めているのであるから、罪刑法定主義の建前からして、これを拡張して解釈することは許されないものというべきである。そして、同法三条は「性別」を理由とする差別については規定せず、また同法四条は「賃金」についてのみ規定するにすぎないことからして、労働基準法上は、性別を理由に賃金以外の労働条件について差別することを直接禁止の対象とはしていないものといわなければならない。
ところで、被申請人が主張するように、憲法は私人間の行為を直接規律するものではないから、憲法で保障されている基本的人権について、私人間の合意で制約を設けることも、私的自治の原則の適用により、一応は有効であるということができるが、右の制約が著しく不合理なものである場合には、民法九〇条により公序良俗違反として無効となるというべきである。そして憲法の保障する基本的人権には種々性質の異るものがあり、制約の対象となる権利によつては、或るものはそれを制約すること自体著しく不合理なものと観念され、また或るものについては非常に巾広い制約も許容される場合があるのである。本件で問題となつている男女平等の原則について言えば、この原則に対する制約は様々な根拠によつてなされるのであつて、その具体的内容の検討を度外視して、制約が存在すること自体をもつて、一般的に著しく不合理なものということはできない。しかしながら本件停年制の内容は、男子の五五才に対して、女子は三〇才と著しく低いものであり、且つ、三〇才以上の女子であるということから当然に企業貢献度が低くなるとはいえないから、他にこの差別を正当づける特段の事情のない限り、著しく不合理なものとして、公序良俗違反として無効となるものというべきである。しかして、右の正当事由の存否は、当該企業の形態、業務内容、従業員の勤務能力、配置転換の可能性、労働契約の内容等諸般の事情を考慮して決するほかないので、次にこの事情について検討する。
三<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる疎明はない。
1 会社の前身である東急くろがね工業株式会社は、もと日本自動車工業株式会社と称していたが、昭和三四年ごろ商号を変更し、自動車及びその部分品類のメーカーとして主として三輪及び軽四輪自動車を製造、販売していたが、昭和三七年二月経営不振のため倒産し、同年四月に更生手続が開始され、同年七月ごろ認可された更生計画では、新会社を設立して、更生会社の製造部門を引継がせ、自動車の部品メーカーとして再発足させることとなつていた。更生会社は、エンジン関係においてすぐれた技術を持つていたので、訴外日産自動車株式会社と業務提携をし、同社から部品の加工の注文を受けてその再建を図ろうとしたわけである。
会社は、右更生計画により昭和三九年九月に設立されたが、以来、実際には前記日産自動車からの受注によるダットサンキャブライト搭載用エンジンの生産を主体に営業を維持、継続して来たが、右エンジンの売上高が会社の総売上高に占める割合は六〇パーセント以上にも及んでおり、これに日産自動車及びその関係会社から受ける他の自動車部品の加工等の注文を加えると、日産自動車及びその関係会社に対する売上高は会社の総売上高の約九九パーセントにも達している。従つて、会社の生産、販売はその大部分を一つの発注会社(及びその関係会社)に依存しており、もしも同社からの注文を受けられないことになれば、会社の経営が全く成立たなくなることは明らかである。
会社は、貿易の自由化を控えて競争の激しい自動車業界の中で更生を図らなければならないという困難な状況にある上に、右に述べたようにその生産の主要部分を日産自動車からの受注に依存しているという立場上、製品の価格についても発注価格をその儘認めざるを得ず、利益をあげ健全な経営を実現する為には、積極的に企業の体質改善と経営の合理化を実行しなければならない状態にあり、設立以来、原価及び工数の低減、経費の節減、組織の簡素化、営業活動の強化等に努力して来た。
2 しかし、会社は、従業員の賃金については、従来、毎年春闘において、組合の会社に対する増額要求があり、これに基づき全従業員の賃金を同一の金額だけ一律に上昇させる方式(以下「一律上昇方式」という。)をとつて来ていたので、右経営合理化の一環として賃金の適正化を企図し、昭和三八年度の賃金改訂時に、従来の賃金体系を全面的に改訂し、それまでの一律上昇方式を排除して、職能給の考え方に基く賃金体系を採用することとし、組合に対して、右の考え方に基く賃金案を提案し、組合もこれを認めて同年度から実施されることとなつた(昭和三八年度前の昇給方式及び同年度の賃金改訂時に職能給制度をとり入れたことは当事者間に争いがない。)
ところが昭和四〇年の春闘においては、会社が右新賃金体系に基づいて更に賃金の職能給化を押し進めようとしたのに対して、組合は従来の一律上昇方式による賃金の増額を要求し、折衝の末、結局、会社が組合の要求を容れた(この事実は当事者間に争いがない。)。これは、会社が、会社の経営は、前述のように一つの発注先会社からの受注に全面的に依存しており、もし会社、組合間の主張が対立して争議状態に入ることにでもなれば、会社製品の供給が遅延又は停止することにより、自社の自動車の生産に支障を生ずることを虞れる発注先会社が、会社に対する発注を打切り、これを他社へ切換えることは明らかであるとの認識に立ち、右のような事態になれば、会社の存立にかかわることになるので、是非ともこれを避けねばならず、その為には組合の要求を容れる外ないと判断したからである。組合は、その後も春闘において一律上昇方式による賃金の増額を要求し、会社はこれを認めてきた(このことは当事者間に争いがない。)。
3 前述のように、会社は、昭和三八年度の賃金改訂時に、従来の賃金体系を全面的に改訂し、それまでの一律上昇方式を排除して、職能給の考え方に基く賃金体系を採用することとしたが、その際、最下級の職級に属する職種として軽雑作業職(職級としてⅠ、Ⅱがある)を設け、これには秘書補助業務、文書整理、受発信業務、人事労務関係手続業務、給与計算補助業務、和文タイピスト、出納補助業務、各種伝票等の整理・記帳・保管等の業務、事務用品等に関する各課々内庶務業務等が含まれるものとして、主としてこれらの業務を扱う女子を全員一律に軽雑作業職に格付けすると共に、男子はこれらの業務を扱う者であつても他の業務を扱つていることを理由に、一人もこの職級には格付けしなかつた。
しかし、前述のように、その後再び一律上昇方式による賃金増額を認めざるを得ないこととなつたため、このような状態が継続すれば、前記のような事情で合理化を図らなければならない会社においては、女子従業員は定型的な業務に従事しているため、勤務年数が能率の上昇と結びつかないのに拘らず毎年一律に賃金を上昇させなければならないこととなり、合理性に欠けるばかりか、経営合理化の妨げになるとの認識に立ち、女子従業員については停年を三〇才とすることによつてこの問題を解決しようとした。昭和四一年度の賃金増額要求についても、組合は一律上昇方式を主張してきたので、会社側が右解決案を提示したところ、組合側も結局これを諒承したので、本協定が締結されるに至つた。
4 右に述べた一律上昇方式による賃上げのために、女子も男子と同様に昇給したが、初任給については男子よりも女子の方が低いことなどもあつて、学歴、勤続年数等を総合的に判断した場合には、男子よりも女子の賃金の方が低いことは否めない。なお、会社の営業成績についてみると、昭和三九年一〇月ないし昭和四〇年三月では利益二九五、六九六円、同年四月ないし同年九月では利益二一〇、五五九円、同年一〇月ないし昭和四一年三月では利益二九四、五一九円となつており辛うじて黒字を維持している状態である。
5 被申請人は、会社は軽雑作業に従事させるために、少数の女子従業員を採用している旨主張するが、軽雑作業に従事させることが、会社側の単なる主観的な期待に止まらず、労働契約の内容にまでなつていることを認めるに足りる疎明はない。
6 次に、申請人の業務についてみると、申請人は、昭和三四年三月前記更生会社にパートタイマーとして雇傭され、本社勤労課人事係で主としてホールソートカードの作成に従事し、同年月六臨時従業員となり、昭和三五年初めごろからは統計調査の仕事もするようになり、同年一〇月試験のうえ本採用となつた。右試験は男女共同一内容であり、また採用に際して特に仕事の種類、内容について限定されたこともなかつた。本採用後も申請人は従前と同様の仕事を続け、その他各種証明書の発行、人事関係書類の管理を行い、前記倒産のため、昭和三七年六月一〇日全員解雇の際に解雇されたが、翌一一日に更生会社に雇傭され、前と同一の係で前同様の仕事の外、退職金の計算なども行つた。昭和三八年ごろから生産活動が開始されて、社員を採用する必要が生じたので、申請人は課長等と一緒に各地へ行き、入社選考の補助をし、新入社員教育のための準備や引率等をする一方、本社関係の給与計算とその支払、通勤定期支給等の業務を行つた。右退職金の計算、給与計算とは、いわゆる給与の実施即ち給与計算業務である。(従つて、給与関係の仕事に従事する女子職員の業務内容はかならずしも全て被申請人主張の如き給与計算補助業務ではない<証拠判断省略>。昭和三九年九月に会社が設立された後も、申請人は前同様の仕事を行い、昭和四〇年四月蒲田工場第一製造部技術課工務係に配置換えになつてからは、右工場勤務者からの各種の要求について総務課や勤労課と連絡をとつて処置するという業務に就き、本件停年制が敷かれた後の昭和四一年六月には、経理課原価係に配置換えになり、それ以来右業務に従事してきた。
四以上の認定事実に基づいて以下被申請人の主張について検討してみよう。
先ず、被申請人は、会社において女子従業員が担当する職務は、全く補助的な責任が軽い作業であるのに賃金のみは年令が高くなると共に高くなり、高度の熟練、技能を必要とする業務に従事している男子との間に殆んど差がないという不合理があると主張するところ、前記三、3記載の各職務のうち、タイピストの職務は、その余の職務とは異り、電話交換手等と共に特殊の作業職種として分類されるべきものである一方その余の職務は、多少なりとも技能経験を必要とする一般事務職種として分類され、作業職系の職種と区別されているが職務分類の常識として一般に採用せられているところであるから、会社が右各職務を一括して、軽雑作業職と位置づけたことは、右職務分類の常識に反し、何らの合理性はない。殊に、会社の決定した職種の内最下級の職級に格付されたことは不合理である。更に前記三、6で認定した給与計算業務を考えてみても、その職務内容は、もとより一定の処理方法に基づくものではあるが、個別的部分的な変更があり、複雑な計算を必要とし、決して、単なる定型的事務の繰り返えしではなく、その処理にも普通程度の知識と経験を要し、その責任もこれを誤れば、給与者のみならず他部門に影響を及ぼし、場合によつては人事管理に対する不信感等の損害を発生するものであつて、軽いものではないことは職種の分類ないし格付に際し当然考慮に入れられるべきことであつてこれらのことを考えれば、右職務は、少くとも事務職中級の職位にあることは容易に知ることができる。また、職種分類において、軽雑作業職とは、繰返し作業で知的能力を働かせることはほとんどない職務であつて、作業職の系統に属し、例えば、会社内外の掃除に従事する清掃人(婦)、お茶汲み、伝達に従事する給仕の職務を指称するものであることも公知の事実である。従つて、会社が右認定の各職務を軽雑作業職と称し、各職務を一括して最下位の職級に格付けしたことは甚しい誤りであると云える。仮りに、右認定の各職務を担当する者の職種を軽雑作業職とすることが相当であるとしても、会社において、主として女子従業員が担当していた職務と男子従業員の担当していた職務と比較して、職種決定の観点から、果して、同一群に属するものか、或いは、異種のものとして男子の方が女子よりも職務と責任において重いものであつたかどうかについては、会社の全従業員の担当する職務内容についての疎明もないから、これを明確にすることはできない。そうすると、以上の考察で、すでに男子従業員と女子従業員を職種の決定ないし格付において差別を設ける何らの理由がないことは明白である。しからば、「女子は賃金のみは年令に応じて高くなり、高度の熟練と技能を必要とする業務に従事している男子との間に賃金が殆んど差がないという不合理が生じる」との被申請人の主張は、その前提を欠き到底これを支持することはできず、従つてまた、右主張を女子三〇才、男子五五才とする停年制設定の理由となしがたいことは明らかである。仮りに、更らに一歩を譲り、被申請人の右主張を正しいとしても、前認定のとおり女子従業員採用に際して、特に被申請人のいわゆる軽雑作業を担当する職種の要員として雇傭する旨の合意があつたわけではなく、会社が一方的に右職種に配属したのであり、賃金制度についても会社が組合と協議のうえ決定したことであるから、経営が苦しいからといつて、能率の悪い者について整理解雇を行うというなら格別、右軽雑作業職に就いていることを理由に、女子について男子と差別した停年制を敷くことは極めて信義則に反する行為であるというべきである。
次に、被申請人は、軽雑作業は特別の技能、経験を必要としないので、短期間にこれを習熟でき、能力的に伸びる余地がなくなり、責任も軽く、昇進の見込もないため、勤務を継続するとモラルと生産能力は低下することになる旨主張するが、この点について論議するためには、女子従業員が主として担当する前記三、3記載の各職務が会社主張のとおり、技能、経験を必要としない軽雑作業であるとの前提に立たなければならない、しかし、そのしからざる所以は前段判示の通りである。仮りに、右の各職種が会社の主張する軽雑作業であり、それには何らの技能経験を必要としないものであるとしても前述のとおり、申請人ら女子従業員は、被申請人主張のようなものとしての軽雑作業に従事するとの契約で入社したのではなく、男子と同様何らの限定もなく入社したのであつて、被申請人のいうところの勤務を継続するとモラルと生産能率が低下する職種に配置したのは正に会社そのものであり、昇進の途をとざしているのもまた会社そのものである(女子が全く昇進に適さないことの疎明はない。)。かかる場合に他の職種への配置換えを何ら考慮することなく、かかる職種に就いていることを理由に男子と差別した停年制を設けるのは正に信義則に反するものといわなければならない。しかして本件において、申請人ら女子従業員について他の職種への配置換えを考慮したとか、申請人ら女子従業員が他の職種には全く不適当であつて、被申請人のいわゆる軽雑作業以外には適当な職場がないなどの疎明は全くない。従つて、仮りに、いわゆる軽雑作業に長く就くことの弊害が主張のとおりであつたとしても、これをもつて女子についてのみ男子と差別した低い停年制を設ける理由とすることはできない。最後に被申請人は、既婚の女子従業員は家事、育児等について責任をもたなければならないから勤務に支障を生ずると主張するが、本件停年制は結婚したことを理由とするものではないばかりか、一般的に既婚の女子労働者の勤務成績が悪いということを認めるに足りる疎明はなく(<証拠>をもつてしても未だ右事実を疎明するには足りない。)、従つて既婚なるが為に勤務成績の悪い女子従業員については、既婚を理由とするのではなく、勤務成績が悪いことをもつて解雇すべきであり、これをもつて本件停年制を正当づけるに由ないものといわねばならない。
なお、本件停年制は、会社が一方的に設けたものではなく、労働組合と協議のうえ労働協約によつて設けたものであるが、協約によるが故に私法上の契約たる性格を変ずるものではなくこのことによつて、合理的理由のない性別による差別が許されることになるいわれはない。
五結論
以上のとおり、女子従業員三〇才停年制に関する被申請人の主張はいずれも理由がなく、他に本件停年制を正当づけるに足りる特段の事情の疎明もないので、女子従業員三〇才、男子従業員五五才と女子を著しく不利益に差別する本件停年制は、著しく不合理なもので、公序良俗に反して無効である。そうすると、その余の主張について判断をまたず本件解雇は理由がないことは明白である。しかして、被申請人が申請人の従業員たる地位を否認していることは明らかであり、また、申請人に対して昭和四二年四月分以降の賃金の支払をしないこと前述のとおりであり、申請人本人尋問の結果によれば、申請人は、夫が公務員として働いているが、それだけでは十分でないので、本件解雇以降は、「守る会」の会費を借りて生活の資にあてている状態であるので、保全の必要性もまた存在するものというべく、結局、申請人の申請はいずれもその理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(西川要 吉永順作 瀬戸正義)